痛みを伴う日本人1人あたりの価値向上

2022/05/15

 

日本国内で高度な人材を輩出できなくなったと言われて久しいですが、その根幹の問題としてあるのは日本が「1人あたり」の価値を上げることができなくなったためだと言われております。


株式のように一株あたりの価値の最大化を目指すことを条文に明記しているわけではありませんので、単純な問題ではありませんが失われた何十年の問題の原因はこの問題に集約している気がします。


小泉政権時代、痛みを伴う構造改革が必要とされておりましたが、結果としてその恩恵を日本人一人ひとりが享受できたかと問われると、むしろ失ったものも多かったのではないでしょうか。


日本の場合、高度人材の雇用を犠牲にしてマックジョブの雇用者を守ってきました。


要は高学歴ワーキングプアを積み上げて、非正規雇用を増やしてきました。


その結果、GAFAのような企業は生まれず、年収の低下ばかりが目立つ社会となりました。


確かに高度人材に投資をすれば良い企業が日本にも生まれるかもしれませんし、質の悪い雇用を提供する企業は淘汰されるかもしれません。


ただ、同時に学歴のない方やスキルのない方を切り捨てる(可能性がある)社会に舵を切ることにもなります。


成り上がりや再チャレンジよりも、知能指数優先主義的な社会が果たして日本に馴染むのか、その決断を突き迫られているような気がしました。

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