「失われた30年」の自己責任

2020/01/27

投資


日本人は「失われた30年」の本質をわかってない
(出典:東洋経済オンライン 2020/01/26 8:00)

SPDRマンです。

失われた○年という言葉は、日本経済を語る上で本当によく出てきます。
そして大抵の場合、最もらしい要因などを追及し、他人事のように語られます。

日本の『失われた数十年』から学ぶ教訓
(出典:WSJ 2020 年 1 月 3 日 05:39 JST 更新)

出典元の東洋経済の記事でさえも、最もらしいことを書いておきながら、
当ブログのようなスタイルで、ウォールストリートジャーナルを参照しております。

この国の失われた○年は、責任やリスクを回避して出来た産物です。
出典元で用いられている主要な統計上の数字を確認すると、
いかに伸び悩んだかがわかります。


  • 平均株価(日経平均株価)……3万8915円87銭(1989年12月29日終値)⇒2万3656円62銭(2019年12月30日終値)
  • 株式時価総額……590兆円(1989年年末、東証1部)⇒648兆円(2019年年末、同)
  • ドル円相場……1ドル=143.4円(1989年12月末、東京インターバンク相場)⇒109.15円(2019年12月末)
  • 名目GDP……421兆円(1989年)⇒557兆円(2019年)
  • 1人当たりの名目GDP……342万円(1989年)⇒441万円(2019年)
  • 人口……1億2325万人(1989年、10月現在)⇒1億2618万人(2019年、11月現在)
  • 政府債務……254兆円(1989年度、国と地方の長期債務)⇒1122兆円(2019年度末予算、同)
  • 政府債務の対GDP比……61.1%(1989年)⇒198%(2019年)
  • 企業の内部留保……163兆円(1989年、全企業現金・預金資産)→463兆円(2018年度)


しかし、この責任が自分にあると思って数字を読む人はほとんどいません。

増えない個人投資家、衰退する日本のグローバル企業、行政や政治の責任、
構造改革に消極的な組織、リスクを回避し事なかれ主義に徹しやり過ごしてきたのは、
紛れもなく各個々人の選択が築き上げた総和なのです。

もちろん自分一人の力では、どうにもできない問題ばかりであることはわかっていても、
自らが責任をとり、リスクを回避せずリスクを取らなければ状況は打開できません。

一人ひとりのできることは僅かでも、それが総和になれば大きな動きになります。
当ブログは投資ブログっぽいブログですので、投資でリスクをとることを推奨しております。

たとえ僅かであっても、ちょっとでも投資に興味を持つ人が増え、
リスク資産にお金を投じる人が増えれば日本の経済は変わっていきます。

米株村は逆にリスクとり過ぎ疑惑な方も多く、まさにリスクに生きる世界ですが、
情けは人の為ならず、自分の投資や行動に責任を持ちたいと感じたSPDRマンでした。

にほんブログ村 株ブログ 米国株へ
Skin in the Game!

QooQ