最初から人々を騙そうとしていた訳ではないでしょうし、断片的には革新的な部分があった可能性が高いことも否定する気はありません。
ただ、野心的な取り組みにおいて仮説は大風呂敷になりやすくボロも出やすいものです。
論文の査読もそうですが、オリジナリティーや自分の色を出そうとした挙句、論理的に破綻したり結局間違いだったなんてことは良くある話です。
それ相応の専門家たちがしっかりとパブコメを残して形にしようとした形跡もありますが、取り組み自体がアウトみたいなケースもあります。
ソーカル事件で批判されたポストモダンな現代思想や最近だと脳科学なんかがまさにこれです。
中にはフーコーのように批判に耐えうる論者もいないわけではないのですが、論文なんてものは99.9%は仮説ならぬ99.9%はゴミだと言って差し支えありません。
FTXは破綻しましたが、100歩譲ってもしかするとイノベーションの断片は存在していたのかもしれません。
ただ、断片だけでは世の中を変えることはできません。
それが世間というものです。