官僚や学者の政策に期待をしているとロクなことにならないというのは、投資家の皆様におかれましては常日頃感じているのではないでしょうか。
市場を通して経済を眺めることである種の現場感覚が養われ、官僚が経済を理想像に近づけようとコントロールしようとすることがいかに滑稽か、そして学者は自らの専門に引っ張られ全体を俯瞰できるような有識者が殆ど存在しないのか(逆にそういう視座を獲得しているような識者は、残念ながら政府に手を貸さないことも多いです)ということを痛感しているでしょう。
出典元では「コントロールの誤謬」という表現を用いて市場のメカニズムをうまく説明しておりますが、市場は神の見えざる手の力がはたらく信仰の対象である一方で、細かく解体していけば人と人同士の取引の総和に過ぎないです。
だからこそ、自らに選択肢があれば同様に相手にも選択肢があり、その結果として不確実性が存在することになるのです。
それを自らの選択(意思や努力)で思い通りに動かせるというのは権力による傲慢です。
そして最終的には社会システム論の方に話が進んで行くのが何とも現代的ではあります。
金目のトレードや金融の勉強も結構ですが、教養程度でもルーマンなんかを読みこなせていると、本当の意味で投資に対する視野が広がるのではないでしょうか。