日本人が感じている格差が可愛く見えるほどに、米国の格差というものは深刻なものです。
米国に限らず他の諸外国でも格差が激しいところは多くありますが、米国は富裕層の突き抜け方が際立っている部分も大きいと思います。
逆に日本ではかつての一億総中流の幻想が抜けないままに総貧困の方に流れてしまっているような感覚なのかもしれません。
もっとも当ブログの読者層は、資産額的には貧困化の流れには乗らずそれなりものを築けていることと思われますが、社会を見渡すと年々その厳しさを感じることが多くなってきているのではないでしょうか。
世界の経済を米国の旺盛な消費が支えているというのは紛れも無い事実ですが、その消費の原動力は超富裕層の道楽と貧困化している層の借金です。
消費に真の豊かさを見出せるのであれば、それはそれで非常に満足度の高い人生となります。
事業においても融資や投資を引き出してこそのスケールというものがありますし、夢は大きくそれがアメリカンドリームという部分もあるのでしょう。
ただ、夢から醒めたとき目の前に広がる光景が社会保障で支えられた世界ではなく、ゴーストタウンやホームレスというのであるのならば、競争の代償とはいえ中々ハードな現実です。
「堕落の自由」も重要な自由の要素ですが、酒やギャンブル、ドラッグ程度で済む些細な堕落というのは、所詮は創られた貧困化の虚像にすぎないのかもしれません。